総社市の総社宮に、総社市戦没者慰霊芳名碑を建立しました

倉敷・総社のお墓・石材専門店として、親子3代、お墓や石材に関するお仕事をさせていただております、大森石材店です。今回は、総社市の戦没者慰霊芳名碑を建立させていただいた際の様子をご紹介いたします。

 

総社市戦没者慰霊芳名碑

 

総社市の総社宮にて、戦後75年記念事業として、市のバックアップのもと遺族会の方々からご依頼をいただき、戦没者慰霊芳名碑の建立をさせていただきました。

 

建立場所は、総社市の総社宮にある「忠魂碑」の横、印の場所になります。右側面のフェンスを取り外して設置します。これまでは和紙にお名前を書いたものをこの「忠魂碑」の中に保存されていましたが、紙では今後いずれ劣化してなくなってしまうということから、石に刻んで残すことになったそうです。

設置場所のほか、彫刻する方の人数など詳しくお打ち合わせをしました。当初はステンレスの銘板もご提案していましたが、最終的にはやはり石製の碑にしたいというご希望で新たに設計し、工事に取り掛かりました。

 

工事が始まっています。まずは基礎工事です。今回は3枚の芳名碑をこちらに並べて設置しますが、ひとつが1.4トンもの重さがありますので、しっかりとした強度のある基礎を施工する必要があります。基礎を施工する場所を十分な深さまで掘り下げます。

 

掘り下げた部分に砕石を入れ、機械で地盤を固めます。

 

地盤を固めたら、配筋をしてコンクリートを流し込む準備をします。鉄筋の位置がコンクリートの中心に近くなるように調整します。

 

コンクリートを流し込んでいます。左側のほど長いものはバイブレーターという機械です。振動を与えて中の空気を抜いて、コンクリートの強度をしっかり保ちます。20cm以上の厚みのある、しっかりとした基礎になります。流し込んで表面をきれいにならしたら、しっかり固まるまでしばらく養生期間をおきます。

 

基礎が完成しました。ここへ、慰霊芳名碑の脚部分を設置していきます。このあとコンクリートで周りを固めるので、完成後は下半分は見えなくなりますが、この脚もかなりの大きさがあります。糸を張って、位置を確認しながら設置しています。

 

脚を設置したら、木枠を組んで中に配筋し、さらにコンクリートで固めます。大きな石碑を支えられるよう、台風などの強い風圧も考慮してこのような頑丈な設計をしました。もともとは脚が一体型になったものをお考えでしたが、それよりもこうした設計の方が費用面も抑えることができます。工事の方法や、十分な強度があることをご説明して採用していただきました。

 

コンクリートでしっかり埋めました。これでかなりの強度のある脚部分が完成です。

 

完成した脚部分に、慰霊芳名碑を設置していきます。ボンド等で脚部分としっかり接着しました。ひとつの大きさは、幅8尺(約2.4m)、高さ4尺5寸(約1.3m)あります。万一欠けたりしては大変ですから、慎重に慎重に設置しました。黄色いテープは、のちほど脚と慰霊芳名碑の間の目地をきれいにしっかり入れるための養生テープです。

 

今回施工の途中で、子どもさんが中に入ったりすると危険だということで、もともと周りにあったフェンスと同じようなものを設置することになりました。囲い部分に穴をあけて、フェンスのポールを立てます。

 

今回追加で作成したフェンスのポールは、上の擬宝珠のようなところを石で作成しました。下のポール部分は鉄製で錆びないようメッキ仕上げとし、この部分だけ他のポールと同じ形で作って銀色を塗っています。

 

完成です!

 

三つの石板に、1632名の方のお名前を彫刻しています。重量のある石板部分をしっかり支える強度の高い基礎で、台風などの強風にも強い、末永く安心していただける慰霊芳名碑です。

 

追加で作成したフェンスです。もともとあった部分と違和感なく仕上がりました。

 

除幕式にはたくさんの方がお越しになり、遺族会の方々にも完成を喜んでいただけました。戦後75年を迎え、ご遺族の方々も平均年齢が80才以上となっているそうです。彫刻されたお名前の中にはそうしたご遺族の親御様のお名前もあり、親御さんを亡くされた悲しみやご苦労を思うと、長い年月が経った今こうして後世にお名前を残せたことで、ご遺族の皆様のお気持ちを少しでも癒すお手伝いができていればと願うばかりです。

こうした慰霊芳名碑は、お名前部分を内向きに作られることも多いのですが、こちらはここを訪れた皆さんにお名前を見てもらえるように建てられています。私には、これまで忠魂碑の中にこもっていたたくさんの方々が、堂々と胸を張って出てこられたように感じられました。同時に、戦争で亡くなった方々や、残された方々のご苦労があったからこそ今日の平和な世の中があるということを忘れてはいけない、と言われているようでした。